2018年05月23日

雑記5/22(23?)


 こんばんは。面倒なのでいちいち名乗りません。


 人の抱いているイメージに応えなければいけない、という切迫感は、一般人はどのくらい持ち合わせているべきなんでしょうね。さっそくクソみてえな話題ですが、ここまで書いたところで、もしかして普通、人の抱いているイメージを意識したり、そのイメージと実際の自分との乖離で苦しんだりする人ってあんまりいないんじゃないかって気がしてきたのでやめます。やべえな。


 今、曲を書いてたんですけど、行き詰ったんでブログ書いてます。かつては、行き詰ったというか「よし今日はここまで行ったから充分だろ」みたいな感じだったのが、今は「そもそもこれで合ってんのか?」って気持ちの方がはるかにデカくて、Aメロ2くらいまで書いたら全部消しちゃう事が多くなりました。前もあったんですけど、こんなに頻繁には無かったな。


 たぶんどんなに出来が悪くてもいいから、とりあえず曲にするべきなんだろうなとは思う。作曲してブログに乗せる、というプロセスを辞めてからもう2年以上は軽く経つ訳で、それ以降もちょくちょく曲は書いてた筈なんだけど、本当にぱったり書かなくなった。「アロエ」以降、ピンとくる曲が書けない。音源にしていないのは、「naps」、「pudding」、あと「hope」もだっけ? 「かわらずや」は聞けたはずなんですが消えてましたね、もうなんで消したのかも覚えてないや。「碧」は完全にやらなくなりました。歌詞も忘れた。「非常識」は大サビこそ気に入ってるんですけどそれ以外が別にって感じ、やってること「浮気性」と一緒なんですよね。


 こないだサウンドクラウドに上がってる「音楽」って曲を聞いたらそれなりに歌が上手かったです。今も聞いてるんですけど。でも、もう、過去の曲は別の誰かの曲としか思えないんですよね。「アロエ」ですらそうなんで、完全に歌う曲ねえな、みたいな。


 誰かが代わりに未来屋マサルをやってくれるならいいのに、とすら思う。でも、今の自分にとってはこの人格の方が圧倒的に大きくて、その存在が認められるような、創作活動をまったく辞めてしまったので、自分が何者なのかよくわかんなくなってる。やっぱり、よそゆきの人格があって、その上でそれをとっぱらったぐちゃぐちゃの自分があって、今はどっちも疎ましい。


 ふつう失いたくないものがあったとき、何としてでもそれを失いたくないという行動に出るみたいなんですが、あまりにも自分を棄て過ぎていたせいで、ぜんぜん自分の気持ちを吐けませんでした。まあ、今もそうなんですけど。こんだけフランクに文字を打っていても、肝心なことはなにひとつ言葉にできないと思う。幸せになる権利が、自分にはないと思っている。ずっと、今までも、たぶん、これからもだけど。


 仮に自分の支えになっている存在が居たとしても、その人に対して払える対価が全くないなあ、と思いながら過ごしてた。金とか、時間くらいしか思いつかなかったので、じゃぶじゃぶ使ってたら借金も膨らんだし。こないだ払い終わったけど、払い続けてる方がまだ救いがあったとすら思う。それはさすがにやばいか。


 ぜんぜん話変わるけど、日本の音楽シーンをいわゆる権力という数値で考えたときに、相応のパワーを持っている人から縁があって誘われて、その切符を掴むかどうか、かなりリアルな、もちろんシビアだけど、目指している人にとっては咽喉から手が出るほど欲しいそのチャンスを、蹴ったんですよね。サラッと書くと紅白とか武道館とかのレベルの話。最初はまあ、騙されてもいいから、ちゃんと耳の肥えてる人に聴いて貰おうと思って、単身乗り込んだんですけど、着いたらさあやれ、って感じで。「真っ逆様」をやったら、もっとゆっくりした曲はないのかって言われて、「雌蘂」をやって。


 それは、詞も曲もお前が書いたのか、って言われて、そうですって言ったら、ウーンって考え込まれて。あー、これはやらかしたんだろうな、さあギター終って帰るかなって思ったら、急に、もったいない才能だって言われた。うまくやれば、つまり売れ線の曲を書けるのに、それをやらないで宗教に傾倒してるのは、音楽のルーツの問題だと思う。何を聞いてきたの?って言われて、さすがにSDCの話はできないだろうなって思ったから、小さい頃から日本晴れとか弾き語りをして旅やって食ってる人達の音楽を目の前で見聞きして育ちました、それが自分にとっての音楽の全てですって言ったら、またそうかあ・・・・って考えこまれて。いや、そうなのかなって思ったよ、と言われて。でも、それをやるなら、末路はホームレスだぞと言われて、まーそうですねと思って。この世界で、この国で、この仕組みにのっとって音楽をやるなら、つまり資本主義社会に準じなければいけないわけで(まあこれは本当にくさるほどよくある話だと思うんだけど)。たとえば賢くやってるやつは、そうやって上り詰めて、もう何をやってもお金が回るようになってから、はじめて好きな事をしてるって言われて。あーまあーいますね、と岡崎体育とか他の色んなクレバーなアーティストを思い浮かべて、だから、それをやる気があるなら、俺はいくらでも手を貸してやる、と言われて、答えが決まったら連絡をよこせと言われて。


 結局、蹴ってしまった。


 元々、どっちで行くか考えていて、いわゆるレールに従うのか、それともこういうインターネットとか新しい力を使って成り上がるのか、でも前者のチャンスは簡単に舞い込んでくるものじゃないから、とそう思ってたところにそんな話がやってきて。これが、19の自分だったら、たぶん迷わずに食いついただろうと思った。でも自分は23で、あんなにずっと、23になったら辞めると言ってきて。もう辞めるってブログに書いた後に急にそんな話になって。いつだって、バランスもタイミングも悪い人生だとつくづく思う。


 それで、その時にもう、うっかり、「もう辞める気だったんですよ」って言ってしまった。そしたら「お前、(音楽しかないのに)音楽をやめてどうするつもりなんだ」って言われて、また口が滑って「おっ死んじゃおうかと(思ってたんですけど)」と言ってしまって。「馬鹿かお前」と言われて、別の人からは「あなたが死んで誰が喜ぶの」と言われて、まーーーいらんこと言ったなと思って。


 でも、それが今、いちばん身近な自分の中での答えなんだよなあ、覚悟が決まらないだけで。


 自分はただ、自制心が欲しくて、本能をコントロールする術が欲しくて、自殺を受け入れる事は、死に対する恐怖を乗り越えるという、もっとも難しいコントロールなんじゃないかと思っていて、それに対するなんらかの敬意みたいなものがあるんだと思う。あんまり書くとイタいからもう辞めます。この話は気が向いたら・・・・いやたぶんもうしない、書いたらイタかったから。


 ブログ書くの逆効果な気がするけど、とりあえず続ける気ではいる。次回はやっぱり未定。


posted by 未来屋マサル at 02:03| Comment(0) | ★大事なメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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