2017年09月04日

9月4日、不定期的にブログを書く。


 未来屋マサルです。そりゃそうだ、私のブログなんだから。

 9月3日、地元の月形町で歌いました。お寺さんが修繕を完遂したので祝賀会に誘われまして。いつものように死とセックスを歌う訳にもいかないので、「風になりたい」「夜を越えて」を歌いました。2曲だけだけど、楽しかったです。蟹も食えたし。フラダンスの着替えがあるから、フラダンスとフラダンスの間に歌いました。楽しかったです。蟹も食えたし。蟹も食えたし。

 わあ、もう書くことがなくなっちゃった。参ったな。

 同じ日には札幌でハートランドフェスがありましたね。潮のバンドとか、セルくんとか、うたたね日和とか、わりかし行きたかった気もするんですけど、なんとなく予定が入っていてホッとしてしまった自分がいます。なんかいつからこうなっちゃったのかわかんないんですけど、人馴染みをどんどん避けている気がします。なんでしょうね、いや本当。

 今日はこのままぐだぐだ書こうかな。

 明るい世界と、暗い世界、みたいに安易に区別して考えるとはあんまり好きじゃないんですが、それでも自分は「どっち側」なんだろう、って考える事は多いですね。こんな陰気な事を悩み始めるんだから、当然、薄暗い方にカテゴライズしていくんですけど。当然、そっち。当然、当然の悩みとして、太陽サイドの人間達の、無自覚な棘にはうんざりしたりする。眩しい光が苦手な人だっているのに、外に連れ出そうとする。いや、きっと、人を幸せにする為に、最終的に必要になるのはそういった陽のオーラなんだろうけど。

 そうじゃなくて、なんだろう。放っておいても生きていける癖に、わざわざ岩の下のワラジムシに文句をつけるような人間が、それもわりかし無邪気な人間が、一定数いるんだよな。

 見下す訳じゃなくて、主観的な分析として、たぶん、たぶんだけど、わかんないんだと思う。敢えて泥を飲む人の気持ちとか、敢えて滝に打たれる人の気持ちとか、汲めないんだと思う。意味不明すぎて。それがわからないって事は、すごく幸せな事だと思うし、こうやってぐだぐだ書いてる文章の意味も、2割も汲めないんじゃないかなって思う。

 ただそれだけで、きっと吐き気がするくらい恵まれてる筈の人間達が、わかんないものを見たら、びっくりするんだと思う。どうしてこんなにネガテブなんだろう、どうしてこんなにマイナス思考なんだろう、何が楽しくて生きてるんだろう、どうしてがんばらないんだろう、どうしてがんばれないんだろう・・・・。

 わかんないから、とりあえず責めてみる。「私みたいに、こうすればいいのに」「私はこんなにがんばってる」って言ってみる。たくさんリツイート貰う。たくさんいいねして貰う。「私も見習って、がんばりたい!」ってコメントがつく。「そういうところ、健気で偉いよね」ってオッサンからクソリプが来る。

 そんな人が、「自分の歌で誰かを幸せにしたい」とか言う。

 なんか、冷めちゃうんだよな。その誰かって、誰なんだよ。だから、そもそも土中のミミズなんて眼中にないんだよな。そういう人種はもうカウントされてないの。その音楽には。そりゃあ、世の中は圧倒的に陽のために回ってる訳だから、それでいいんだよ。部屋に引きこもって泣いてる奴がいようが、そんな事に関わっている暇はないんだよ。それよりも音楽友達で飲んでさ、騒いでさ、横のつながり作ってさ、イベントに呼んで貰ってさ、お客さんたくさん入れてさ、そっちの方が健全で、よっぽど有意義だよ。

 でも、それでも、花を踏みながら世界平和を祈るような音楽なら、私は要らないなあ。こういうのもね、私が文句言わせないくらいに売れてたら、引け目もないんだろうけど、普段は黙るよね。

 単なる、音楽性の違いって奴。別の話にする。

 「幸せ」について考えるのも、当然の仕事。人間なんだからさ。バイアスまみれの自己分析によると、自分はとにかく穴を埋めようとしてる。足りないものを探して、それを求めてる。まあ、人間が取る行動原理のひとつだと思う。貪欲なんだけど、貧弱。だから、諦めようとしてる。諦め半分でいると、たまに埋まるのが嬉しい。そうやって、本当は大きいキャパシティを、小さい小さいって思うことで満足しようとしてる。まあ、だいたいこんなところだろうと思う。

 じゃあ、その大きい筈のキャパシティを、ちゃんと埋めることが出来たら人生の全うだろう。そう思って、ひとつひとつ埋めてみる。

 まず、金。欠かせない。あってもあっても、足りないだろうと思う。「金があったらいいのに」と思わなかった試しがない。

 健康。こんなの言うまでもない。精神的にも肉体的にも。私の場合、特に精神は外せない。状況だけが揃っていて、体が動かない、なんてのはざら。

 愛情、は、やっぱり必要だろうなあ。色んな承認欲求の満たし方があるけれど、恋愛に依存していると思う。いい加減に認める事にした。

 実績、はどうだろう。欲しいだろうな。物を作りたくて作りたくて、作りたすぎて、作るのが嫌になっちゃったくらいだから。それがのびのびと出来るなら、当然欲しいだろうな。

 そうやって、埋めていくと、埋まらないものが出てくる。

 愛情、って言ったけど、自分と相手の好きが噛み合うなんてことは、まあ結構難しい。当たり前に、難しい。まあ、そんなもん。これがほいほい上手く行くなら、こんなにため息ついてない訳で。

 肉体も、先天的なものと、後天的なものと、どちらも理想を得るのは難しい。もっと背丈が欲しかったとか、もっと運動できるようになりたかったとか、老いとか、疲れとか。あとは、あんまり言及すると自分が耐えられなくなるから、さらっと言うけど、精神病って脳にダメージ受けてるから、基本的には不可逆だと思ってる。緩和はしても、根本的に治んない。

 そんでもって、やっぱり時間かなあ。圧倒的に足りない。

 つまり、たらればするだけで、「もし穴が埋まったとしても、現状に満足しない」ってことがわかる。お金が欲しいって思うのもそれで、人間、与えられるとそれが当たり前になる。最低ラインがどんどんあがっていくだけで、満足する訳じゃない。「人間の欲には際限がない」って言うけれど、醜さとかじゃなくて、心理的構造として、ある種仕方ないものだと思う。慣れっていうのは、恐怖を克服するための仕組みだし。

 それに気付いた思春期の頃から、「慣れにだけは負けたくない」って思ったもんだけど。負けたくないっていうか、慣れた事で人を傷付けたくないって思った。それぞれが持ち合わせてる「当たり前」は、簡単に武器になると思うし。まあ、これも当時はそう思ったってだけで、今はナイフを振り回してると思う。

 つまり、自分っていう人間をコントロールできないんだったら、自分の存在に限って言えば、世に出ることは諦めた方がいいと思ってる。誰かに迷惑をかけるくらいなら、ね。

 でも、自分をコントロールできるなら、与えられたカードで戦うのが人生でしかないなって、つくづく思う。それを悟るにはあまりにも遅すぎたし、後悔するにはまだ早すぎる。なによりも、圧倒的に肉体と精神が燻っている。もう、やんなっちゃうくらいにさあ。

 支離滅裂だけど、文章を書いてないと気が狂いそうなので。今日はここまで。
posted by 未来屋マサル at 23:57| Comment(0) | ○日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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